世界遺産
2014年05月20日 19:05
『富岡製糸場』

平成26年6月の世界遺産登録に向けて俄かに活気づいている富岡製糸場。
5月の連休では昨年の3倍にあたる5万人を超す見学者が訪れたとのことで、
少し興味があったので登録されて再び混雑する前にお邪魔してみました。
訪問は土曜日の8時55分。開門を待つ行列が正門から壁沿いに伸びていたが、
周辺の交通状況と駐車場の入庫具合と一緒で、予想していたよりは空いており、
係の方に尋ねてみると、この時点では200人程とさほど混雑してないようだった。
定時に入場して、地元のボランティアガイドの無料ツアーに参加します。

正門から入って正面に建つのは乾燥させた繭を保管する東繭倉庫。

明治五年建築の木骨煉瓦造。重厚で歴史の重みを感じる佇まい。

フランス人検査技師の住居と貴賓室としても使用された検査人館。

工場開設にあたってフランスから指導者として招き入れたポール・ブリュナの家。

そしてメインの施設である繰糸場。

柱のないトラス構造。天井は高く、採光しやすく大きな窓が取り付けられる。

機械は昭和62年に操業停止した当時のままの姿で保管されている。

敷地内には工場で働く人のための診療所も完備される。

全寮制だったので寄宿舎や社宅などもあります。

東繭倉庫と同様に繭の貯蔵庫であった西繭倉庫。
日本の近代産業の礎となった富岡製糸場。最先端の技術を取り入れながら
常に進化し続けてきたが、生糸価格の低迷などで115年にわたる長き歴史に
幕を閉じたが、今も昔の姿を保っているのは市に移譲する前のオーナーである
片倉工業が手を掛けていたから今回の世界遺産登録につながったのでしょう。
残念ながら一部の施設が大雪の影響によって崩壊してしまったようだが、
今後も大切に保管して、これからも当時の産業の歴史を伝えて欲しい。
--------------------------
ただ、地方に限ったことではないが地場産業が衰退するとそれと同時に
地元の活力が低下して、ここ富岡でも少し離れただけでシャッターが
下ろされた店舗が多数あった。

世界遺産登録後はより多くの観光客を呼べる地域の街づくりが必要なのでは。

平成26年6月の世界遺産登録に向けて俄かに活気づいている富岡製糸場。
5月の連休では昨年の3倍にあたる5万人を超す見学者が訪れたとのことで、
少し興味があったので登録されて再び混雑する前にお邪魔してみました。
訪問は土曜日の8時55分。開門を待つ行列が正門から壁沿いに伸びていたが、
周辺の交通状況と駐車場の入庫具合と一緒で、予想していたよりは空いており、
係の方に尋ねてみると、この時点では200人程とさほど混雑してないようだった。
定時に入場して、地元のボランティアガイドの無料ツアーに参加します。

正門から入って正面に建つのは乾燥させた繭を保管する東繭倉庫。

明治五年建築の木骨煉瓦造。重厚で歴史の重みを感じる佇まい。

フランス人検査技師の住居と貴賓室としても使用された検査人館。

工場開設にあたってフランスから指導者として招き入れたポール・ブリュナの家。

そしてメインの施設である繰糸場。

柱のないトラス構造。天井は高く、採光しやすく大きな窓が取り付けられる。

機械は昭和62年に操業停止した当時のままの姿で保管されている。

敷地内には工場で働く人のための診療所も完備される。

全寮制だったので寄宿舎や社宅などもあります。

東繭倉庫と同様に繭の貯蔵庫であった西繭倉庫。
日本の近代産業の礎となった富岡製糸場。最先端の技術を取り入れながら
常に進化し続けてきたが、生糸価格の低迷などで115年にわたる長き歴史に
幕を閉じたが、今も昔の姿を保っているのは市に移譲する前のオーナーである
片倉工業が手を掛けていたから今回の世界遺産登録につながったのでしょう。
残念ながら一部の施設が大雪の影響によって崩壊してしまったようだが、
今後も大切に保管して、これからも当時の産業の歴史を伝えて欲しい。
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ただ、地方に限ったことではないが地場産業が衰退するとそれと同時に
地元の活力が低下して、ここ富岡でも少し離れただけでシャッターが
下ろされた店舗が多数あった。

世界遺産登録後はより多くの観光客を呼べる地域の街づくりが必要なのでは。










